渡良瀬川・足尾銅山 [日本いろいろ]
2017年11月、私たちは「わたらせ渓谷鉄道」に乗車して紅葉狩りを楽しみました。
初日、桐生在住の友人が車で近郊の紅葉スポットに連れて行ってくれました。
ここはみどり市にある「ながめ公園」のはねたきばしからの紅葉。
紅葉はまさに見ごろで木々の色とりどりの美しさに感嘆しました。
「ながめ」は渡良瀬川沿いにある昔からの観光地です。「ながめ余興場」などの設備もあって歌舞伎の公演も行われます。近くには鍾乳洞もあります。
更に紅葉の美しい桐生の宝徳寺へ
床紅葉は京都に負けないくらい。ピカピカに磨かれた床に広がる紅葉風景は見事でした。
翌日は朝から「わたらせ鉄道」で始発駅の桐生から終点間藤駅まで行きました。
桐生から間藤まで1時間半の旅でした。季節によってトロッコ列車も出ています。
二駅戻って足尾銅山の見学、ここは栃木県日光市にあります。
トロッコに載って坑道に入って行きます。
トロッコ乗り場ではの坑夫の人形が当時を偲ばせます。
坑道には、何本もの横穴が掘られていて、それらをつなぐと博多までとどくとか。道は歩きやすいが暗くて湿気も多くあちこちから水が出ていました。
過酷な労働で人々を苦しめ、やがては山や川を汚染する公害を引き起こしたこの地「足尾銅山の記憶」を風化させてはならないと強く思いました。
初日、桐生在住の友人が車で近郊の紅葉スポットに連れて行ってくれました。
ここはみどり市にある「ながめ公園」のはねたきばしからの紅葉。
紅葉はまさに見ごろで木々の色とりどりの美しさに感嘆しました。
「ながめ」は渡良瀬川沿いにある昔からの観光地です。「ながめ余興場」などの設備もあって歌舞伎の公演も行われます。近くには鍾乳洞もあります。
更に紅葉の美しい桐生の宝徳寺へ
床紅葉は京都に負けないくらい。ピカピカに磨かれた床に広がる紅葉風景は見事でした。
翌日は朝から「わたらせ鉄道」で始発駅の桐生から終点間藤駅まで行きました。
桐生から間藤まで1時間半の旅でした。季節によってトロッコ列車も出ています。
二駅戻って足尾銅山の見学、ここは栃木県日光市にあります。
トロッコに載って坑道に入って行きます。
トロッコ乗り場ではの坑夫の人形が当時を偲ばせます。
坑道には、何本もの横穴が掘られていて、それらをつなぐと博多までとどくとか。道は歩きやすいが暗くて湿気も多くあちこちから水が出ていました。
過酷な労働で人々を苦しめ、やがては山や川を汚染する公害を引き起こしたこの地「足尾銅山の記憶」を風化させてはならないと強く思いました。
日本橋 [日本いろいろ]
江戸の城下町を造るために川や河岸が整備されましたが、この水運の中心となった川(日本橋川)にかけられたのが日本橋でした。また、日本の中心であった江戸から日本各地に行く5つの街道が造られました。その出発点となったのが日本橋です。こうして日本橋は陸路と水路が交差する橋になりました。橋近くの河岸に魚河岸が開かれ、米や塩などいろいろな商品の問屋街や両替商もでき、江戸の中心地として繁栄しました。その魚河岸の記念碑が橋の近くに建っています。
日本橋の美しい姿はいろいろな人によって描かれてきました。江戸時代の絵師、安藤広重も何枚もの作品を残しています。しかし、木造の橋だったため、火事や老朽化で何度もかけ替えられました。現在の日本橋は20代目の橋として1911年に造られたものです。近代化を象徴する和洋折衷の美しい石橋でその欄干は青銅の彫刻で飾られています。橋の中央には国道の起点としての印である日本国道路元標が建てられました。
(写真提供:
第11回特別展 石橋開橋 百周年記念 「日本橋」 中央区立郷土天文館 )
1964年に東京オリンピックが開かれました。その時、急いで高速道路を造らなければならなくなりました。道路の用地を確保するのが難しかったため、江戸時代から残る水路の上が利用されました。日本橋は首都高速道路の下に隠されてしまい美しい景観が見られなくなってしまいました。
(フェリーから見上げる道路元標)
高速道路が日本橋の景観を損なっているため道路を他の場所に移し、昔の日本橋の雄姿を取り戻そうと1968年に「名橋保存会」が設立されました。
毎年橋洗いをし、川の水がきれいになるようにとヘドロを浄化する「元気玉」という物質の投入も行われています。
往時の美しい姿が見られる日が楽しみです。
日本橋の美しい姿はいろいろな人によって描かれてきました。江戸時代の絵師、安藤広重も何枚もの作品を残しています。しかし、木造の橋だったため、火事や老朽化で何度もかけ替えられました。現在の日本橋は20代目の橋として1911年に造られたものです。近代化を象徴する和洋折衷の美しい石橋でその欄干は青銅の彫刻で飾られています。橋の中央には国道の起点としての印である日本国道路元標が建てられました。
(写真提供:
第11回特別展 石橋開橋 百周年記念 「日本橋」 中央区立郷土天文館 )
1964年に東京オリンピックが開かれました。その時、急いで高速道路を造らなければならなくなりました。道路の用地を確保するのが難しかったため、江戸時代から残る水路の上が利用されました。日本橋は首都高速道路の下に隠されてしまい美しい景観が見られなくなってしまいました。
(フェリーから見上げる道路元標)
高速道路が日本橋の景観を損なっているため道路を他の場所に移し、昔の日本橋の雄姿を取り戻そうと1968年に「名橋保存会」が設立されました。
毎年橋洗いをし、川の水がきれいになるようにとヘドロを浄化する「元気玉」という物質の投入も行われています。
往時の美しい姿が見られる日が楽しみです。
水の都大江戸クルーズ①小名木閘門 [日本いろいろ]
日本橋から出発する江戸の水路のクルーズに参加してみた。
クリックすると地図が表示されます。
広い隅田川から小名木川にはいる。ここは江戸時代に作られた千葉県の行徳から江戸に塩を運ぶルートで、荒川隅田川を結ぶ一直線の水路だ。
大横川を横切って橋を一つくぐると扇橋閘門(こうもん)が見えて来る。ここから先は高度成長期の工場用水の汲み上げによる地盤沈下でいわゆる0m地帯と言われるところだ。川が増水した時0メートル地帯に浸水しないように川の水面の高さを調節するために1976年にこの閘門は作られた。
閘門の仕組みは、パナマ運河と同じ方式。
閘門の前扉を船がくぐると扉を閉め、水を抜いて水位を下げる。後扉を開けて船は水位の低い川に移動する。
帰りはその反対。後扉を開けて船が入り扉を閉める。水を入れて水位を上げる。前扉を開けて水位の高い川へ移動する。
ガイドさんが「閘門に入る時と出る時、上から水が垂れるのでこの傘をさしてください」といってビニール傘を貸してくれた。確かに扉をくぐるときぼたぼたっと水が落ちてきた。
閘門の中の壁に黒い給水排水パイプがずらっと並んでいる。水を抜いているときはあまり変化を感じなかったが、今まで水につかっていた濡れた壁の部分が増えていくことと、いろいろな水位が書き込まれている壁の水位パネルで、今船は0メートルより低い水面に浮いていることがわかった。
復路での閘門に水を入れていく時はよくわかった。黒い給水排水パイプから水が出て来るのだが、前扉の方から泡立ちはじめ次第に閘門の中の水が沸き立つようになってしばらくすると給水完了で前扉が開いた。
なかなか面白い体験だった。実はカヌーやボートでも閘門体験ができるそうだ。多分やらないと思うが。